エピソード:01
---ボスにファイア---
「微糖? それとも深煎り?」
「レインボーで……って、コーヒーじゃない!!」
黎明の島北端の船着場に降り立ってアンケセナーメンがまず最初にしたのは、思い切り良く背伸びをすることだった。
「んん~っ」
ペガサスの背に跨っての空旅は、予想していた以上に身体への負担が大きかったのか。
強張った筋肉を背骨から引き剥がすようにして伸ばしていると、呻きにも似た吐息が自然と唇の隙間からついて出た。
短ブーツの踵を浮かし、青く澄み渡った空の中へと両手を差し上げる。
届きそうな距離に白い雲がポッカリと浮かんでいた。
試しに何度か拳を握ってみる。当然のことながら、レザーグローブを填めた指先は空気を掴むばかりだ。
ゆっくりと視線を水平に戻す。
作業員なのだろう、艶々とした毛皮に包まれたポポリ達が忙しなく飛行船から木箱を降ろしている。ここから馬車に積み替え、島中央の遠征隊補給基地まで運ぶのだ。
ふいに、アンの視界の隅に場違いなドレス姿の女性が入ってきた。
そう言えば、と出立前の伝達を思い出す。
「ようこそ、黎明の島へ」
アンから歩み寄ると、その女性はにこやかに声を掛けてきた。
「私は発着場管理人のエリカ。あなたが最後よ、アンケセナーメンさん」
髪をかき上げる仕草が色っぽい。ドレスの胸元を押し上げる二つの大きな膨らみがユサリと揺れた。
同便の他の面々は既に到着の手続きを済ませたらしく、二人の周囲に人影はない。
「アンで構わないわ。お務めご苦労さま」
応えながらステータスカードを提示して身分を証明する。
近づけば観察せずとも、エリカの纏っているのが魔法防御を施したローブだというのが判る。魔法環や杖といった武器は着けてないが、間違いなく魔法系のスキルを習得しているはずだ。
考えてみれば、魔物--アルゴンが徘徊する物騒な地を、ただの一般人が勤務先に選ぶはずもない。
「はい、確認したわ。支援兵希望者は向こうにいるランバートの指示に従ってね」
「ランバート、ね」
先行しているファルに早く追いつくためにも、時間を無駄にはできない。
「そうそう、忘れていたわ」
と、踏み出そうとしたアンを、エリカが呼び止めた。
「なに?」
訝しむアンに返されたのは、エリカの満面の笑みだった。
「あなたの活躍を心から期待しているわ、ミス・アンケセナーメン」
クイッと親指を立て、ニコリと笑いかえす。
「ありがとう、ミス・エリカ」
胸は生意気だけど性格はいいみたい、そう思っても口に出さない程度の常識は持ち合わせているアンだった。
七種族からなる大国ヴァルキオン連合とて例外ではなかった。
単純な国家間の抗争であれば、相手も疲弊して戦線が縮小される可能性もあったが、ヴァルキオンを脅かすのは無尽蔵に湧いて出るモンスター軍団アルゴンである。
なにしろ叩き潰そうが擦り潰そうが、減らした分だけきっちりと再出現するのだ。装備不要で元手は瘴気のみでコストパフォーマンスは抜群にいい。
ヒューマンだと、一人前の兵士に育て上げるには仕込みから数えて十数年は掛かり即時投入は無理。個体による当たり外れの差が大きいから対費用効果は不明。というかン千人分の育成費用を一度に捻出しようとしたら軽く国が傾くだろう。
“ダメじゃん、コレ”
と軍上層部が匙を投げた結果導入されたのが、支援兵制度だ。
街にいる腕自慢の功名心溢れる冒険者たちを即戦力として登用する。
徴兵ではなくて志願制なのだから、軍のお偉い方が良心の呵責で睡眠不足になる心配はない。彼らは“自己責任”という便利な言葉を振りかざすのに躊躇しなかった。
ニート、もといエターナル求職者たちはえてして自分に都合のよい夢を見がちである。軍広報官(ハンゲーム)の「今なら貴方もヒーロー!」に踊らされ、公示の直後から街の受付所(ログインサーバー)には長蛇の列ができることになる。
アンや、先行しているファルもまた、そんな中の一人だった。
黎明の島は押し寄せる志願兵をふるいに掛ける試験会場だ。
連合が島に兵を駐留させたきっかけは、古代遺跡には創造神アルンとシャルの痕跡が眠っているという根も葉もない噂による。
あればいいなぁと軽い気持ちで派遣された調査隊だったが、しかし、当代の英雄エルリオン・クベルを中心とした第一次遠征隊が壊滅したことにより、島への注目度は激変する。
と同時に軍の人材不足も露呈した。
第二次遠征隊の派遣はすぐに決まったが、護衛を正規兵から出すには無理がある。
こうして、志願してきた冒険者たちがまとめて島に放り込まれたのだ。
エリカから離れたアンはその足で北部警戒監視所の連絡将校ランバートに会い、今後の指示を仰いだ。
“発着場から基地までの補給路の確保、並びに討伐したアルゴンの体組織の一部を採取して研究員へ提出”
また哨戒任務にあたっている各地の下士官に挨拶しておくようにとも付け加えられる。
完了の報告は補給基地にいるユーリアに。
戦闘を回避しながら基地を目指すことも可能だが、そんなことをすれば間違いなく発着場に送り返されるだろう。
「さぁて、冒険、はじめるわよ」
わざと声に出して気合いを入れてみる。
早くファルに追いつきたいという思いはあったが、焦ってはいない。功名心とはアンは無縁だった。HYAHHA!オレツェェと無双したいわけでもないし、レア装備自慢したいわけでもない。
目指すはあくまでも“至高の固定砲台たる魔法使い”なのだ。
そのための経験稼ぎやスキル習得なら、どんなにマゾくても耐えられる自信があった。同じMOBを延々と狩り続ける空しさと苦痛はアデン大陸でイヤというほど味わっている。
「でも、ソロ無理ゲーだけは勘弁ね」
ちょいとメタな発言をしながら、アンは冒険の一歩を踏み出した。
黎明の島は全体が遺跡そのものらしく、主要路は古びた石で舗装されていて歩きやすい。緑の草原のあちこちに朽ちた石造のオブジェが点在し、いかにもファンタジーって雰囲気を醸していた。
風に揺れる草花。生い茂る木々。流れる雲。
道沿いに張られた天幕の原色が目に眩しい。
「やっぱりファンタジーは東洋よりも西洋よね」
口にしてから、独り言が多いなぁと反省したが、でも直らないんだろうなとも諦観する。
しばらく道なりに進み、太い丸太で組まれた関門所を通過したところで、アンは島に着て初めてのアルゴンと遭遇した。
ギリードと呼ばれる種の、二足歩行で二本の巨大な腕を振り回して襲ってくる枯れた木質の表面を持つモンスターだ。まだアンの存在に気づいた様子もなく、草の大地を上をゆっくりと移動していた。
「ふふ、最初の経験値、発見ね」
不敵に笑い、慎重に接近する。
彼女の主砲は火系だ。着弾すればさぞかし良く燃えることだろう。
「魔力の蓄えは十分、いくわよ、ファイアボール!」
身を隠していた木陰から素早くサイドステップ。
火炎を封じ込めた魔法環(ディスク)を右手で一回転。
ギリード目掛け、炸裂した炎弾を射出した。
「いけぇ!」
ボールとなった炎がオレンジ色を曳きながら直進する。
「ふっ、確殺、ね」
と、緩みかけた頬の筋肉が硬直した。
ポッ……
標的に届く前に、必殺の火玉は燃え尽きた。
果てた魔力の残滓がポタポタと草むらに落ち、余熱が陽炎となってギリードの元気な立ち姿を揺らめかせていた。
「射程短か!!」
ヘルプヘルプと、アンは慌てて自分が持つスキルの性能を確認する。
「射程距離18mに威力7……弱すぎでしょコレ」
少しだけ泣きたくなった。
もう一つの攻撃スキルは威力27だが、射程が3m……。
「遠距離火力職の初期スキルじゃない……舐めてる?」
考えた奴、バカなの!? 死ねよ!
ありったけりの罵詈雑言を胸中で吐きながらも、アンは必死で戦術を組み上げる。
「いいわよ、エイカのガンナーで鍛えた足捌きを魅せてあげるわよ」
プランの応援がなくても私は頑張れる!
攻撃されたことにも気づかないギリードをキッと睨み、大きく息を吸い込み、腰を落として前方へと駆けだした。
「!」
射程距離まで踏み込むと同時にファイアボールを撃ち放つ。
着弾の直後、灼熱の炎が一瞬木肌を覆い尽くした。
が、火はすぐに消失した。
予想していた通り、与えたダメージは軽微だ。
「チッ!」
躊躇せず、ファイアボールを連発する。
無詠唱クールタイムなしで発動するのがこの技の強みだ。スキルというよりも、通常攻撃扱いなのだろう。
しかし、モンスターの突進を止められるほどのパワーはない。
僅か数秒でギリードが目の前に迫る。
まだ体力の1/3も削れてはいない。
ギリードが奇声を上げ、腕を水平に薙ぎ払う。
「予備動作が大きい!」
その下をかいくぐり、背後へと回り込む。
「喰らいなさいっ! フレイムピラー!!」
アンとギリードとの間に、炎の壁が出現した。